07 保育園専用図書室”すずかけ文庫”

(1)すずかけ文庫の創設
(2)月刊絵本は「子供の友」福音館

今でも珍しい保育園専用の図書室には、生涯の友となる絵本がある。

(1)すずかけ文庫の創設

1978年度、すずかけ文庫が創設された。当時は、紙芝居よりも絵本が重視され始めた頃だった。卒園された将棋面さんの母より30万円が寄付されてあった。日販本社倉庫で絵本が購入されて、すずかけ文庫は始められる。専用の図書室としては給食室側の旧保育室を当てた。が、貸し出しは旧園舎の33畳のお座敷で行われた。

土曜日の昼頃に貸し出すと私が決めたが、職員は「余裕がない」と同調してくれなかった。そこで母の会に「図書委員」を決めて頂いて、替わり番で貸し出し事務をして頂いた。返却された絵本の始末は私か主任がしていた。その内、保育時間中に貸し出しても良いと気付いた職員が、「図書委員は要らない」と言い出したので、保母達の中から図書係を決めて貰って、今日に至っている。貸出業務は、担任が行い、返却業務は、早番の先生にお願いしている。購入絵本の選定等は、担当の係の保育士達がしている。

(2)月刊絵本は「子供の友」福音館

私が社会館に戻った時、昭和30年頃と同じ月刊絵本が社会館では使われていた。月刊絵本「キンダーブック」「チャイルドブック」は厚生省保育指針にある6領域区分にしたがって、「自然・言語・絵画製作・社会・音楽・健康」の全ての項目を毎月網羅するように、そのテーマを選んでいた。私の55年前の記憶では、絵画制作以外は全く面白くなかった。

福音館の「子供の友」は、あれもこれもではなく、毎月1つの物語を載せるだけだった。少なくとも子供達は一貫した興味を以て、最後まで読み通すことが出来て、飽きがなかった。注意は分散されず、関心が持続させられた。「キンダーブック」は1回読まれればそれまでだった。「子供の友」は、当たれば、生涯の友となった。年間12冊が作られて、当たりは平均3冊くらいらしいが、それは営業上のことで、個々の子供にあっては、当たりはずれは本人次第だった。私の印象では、はずれが3冊くらいか。

1980年頃、私は園長になって数年で、社会館の月刊絵本を「子供の友」にした。君津郡市では、最初の採用であったらしい。千葉県庁在職中、保育所監査官として視察に伺った東京の西久保保育園。主任の園田とき先生のご推薦が出発点だった。先生は、「子供の友」として発刊された「3匹の子ぶた」(福音館)を示された。その絵画表現は、私の絵本観を一瞬にして打ち破ってしまった。しかもお話が、「復讐物語」であったことも驚きだった。「桃太郎」の絵本が30種類以上あって、最後に鬼が退治されない場合があることも教えて下さった。

民話が持っている真実感が、子供達には残酷すぎるという判断が戦後されてきたらしかった。
これは戦後アメリカ占領軍が、日本人による、アメリカに対する復讐や敵討ちを恐れて打ち出した占領政策の一貫だったことは後で知ることになる。「カチカチ山」が絵本として発刊されるのは、1980年代だった。保育園や学校で、喧嘩が禁止されてきたのも、アメリカの対日政策の影響かも知れない。私はアメリカ占領軍に対する恐怖を知らない世代に属するので、割に自由な発想が出来るのかも知れない。

死を本当の実感を以て受け止め始める9歳以降。サンタや地獄や閻魔様を本当だと信じられる9歳以前。9歳の節が、残酷物語を全く違った体験にしているらしいことに気付くのは、随分後のことだったが、「桃太郎」をデフォルメし「カチカチ山」をパージする態度に私は、いかがわしさを感じ取った。福音館の編集方針を好ましく思った所以であった。

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