01 子供たちのこと

(1)子どもたちの対立混乱を恐れない(グノーシス・華厳経・ゲーデル・岡清・城丸章夫)
(2)日本国千葉県の木更津で育ったことを誇りに思える日本人へ(丸山政男・本居宣長・荻生祖来および平安仏教)
(3)カブトムシの角1本を大切にする子供達の思いを尊重すること(ヘーゲル・フォイエルバッハ・マルクス・レーニン)
(4)何よりも子供達の「やる気」が全ての出発点であること(佐伯胖(ゆたか)・「アメリカコンピテンス学派」)

(1)子どもたちの対立混乱を恐れない

グノーシス・華厳経・ゲーデル・岡清・城丸章夫の思想より

〇矛盾・対立・情緒の重要性
木更津社会館保育園の保育をデザインする時に、通奏低音のようにして私の意識を支えてきたアイデアがある。
・矛盾論
「矛盾がないことではなく、人が困ってしまうような矛盾・事件こそが、新しい地平に人を導いてくれる。」
・キリスト教神秘主義者グノーシス
「対立物は一致する。」
・華厳経
「一即多、多即一」
・ゲーデル(数学者)
「完全に無矛盾の論理構成は不可能である」という証明をした。
・岡清(日本の数学者)
「数学的な論理性・厳密性を曖昧な情緒と非論理的な直感が支える。」という名言を昭和天皇の御前で残した。

〇対立混乱の中から秩序と調和を産み出す体験を大切に
子供達の対立混乱を恐れない。
子供達の対立緊張の中から彼等が、子供達同志の相互理解に到る体験を社会館は大切にする。一時的な混乱の中から、秩序と調和を産み出す社会館の子供集団のイメージは、私が社会館保育園園長になる10年程前まだ北海道大学文学部哲学科の学生であった頃にできはじめたと言える。それは園長就任後、千葉大学教育学部体育科の教授、城丸章夫氏のご講演を聴いて揺るぎないものとなった。

城丸氏は言われた。
「体育の授業で笛を使うな。クラス中の生徒を一斉に、網をかけるように一網打尽に動かすな。教員の指示は、たとえ小声でも生徒集団に浸透していく、その様な集団を造れ。教員の指示が、さざ波のように、建物の裏側にいる仲間にまで伝えられていくような子供集団を造れ。それぞれの子たちが独自であり、それらの判断行動に微妙な時差・ズレがあったとしても、個々の精神の中で普遍意志に俊敏に反応できる子供達を私は求める。体育はファシズム教育の場ではない。体育をとおして民主主義国日本の市民を養成することが可能なのだ。」

会場は千葉大の学内だったように記憶する。体育の専門家の言葉としてあまりに意外であった。一度だけの受講であったが、私の教育観を、具体的に明確に決定づけた一時であった。

対立も調和も子どもたちの中から産まれる


(2)日本国千葉県の木更津で育ったことを誇りに思える日本人へ

丸山政男・本居宣長・荻生祖来および平安仏教の思想より

〇対立する考え方を良しとすること
「特殊性と普遍性・個別性と一般性・内在性と外在性・自発性と外発性・伝統保守と伝統打破」等、丸山政男・本居宣長・荻生祖来が強烈明白に提示した、『対立する考え方』、『行動様式を躍動的に生き抜く強靱さ』を良しとすることは、上記の立場にいれば、たやすいことだった。それは後に私が、平安仏教の慈悲と寛容さを併せて納得すると共に、私の思想の基盤を形作って行った。なかでも、各時代の内在性・自発性と古来の伝統文化が共に秘める普遍的な価値相互の緊張関係を私は常に意識してきた。 

〇日本人の自己同一性(アイデンティティ)
高度経済成長を経て、私のような一介の県庁職員(6年程千葉県に奉職。)も含めて、日本人達が気楽に海外旅行に行けるようになった。憧れの国々を旅しながら、その地に住み着いてしまう人たちも出始めた。しかし所詮は異邦人。食事はもちろん対人折衝の物腰、自己主張の流儀もまるで違う。日本人が、「自国の素晴らしさよりも外国の魅力を語る」姿を怪訝そうに眺める外国人達の存在に気付いた人たちは、そそくさと帰国の途についた。
自国の歴史、先人達の精進努力を思い出しながら、「フランス人・アメリカ人に対して自尊心を失っている私」「外国から尊敬され一目置かれることがない日本人、謙虚で卑屈で遠慮がちの日本人」を私は見出すのであった。

29才の私は3度目のヨーロッパ1人旅にでた。フランクフルトに降りて、鉄道でドイツからスイスへ、そしてイタリーへ国境を越えると、すぐにそれぞれの国の異なる国旗が翩翻と掲揚されているのが目に映った。「もうここはスイスではない、イタリーだ。」と必死に訴える人々がいた。ドイツがやったことをイギリスもフランスも真似ることはなく、フランスがやることをドイツは決して追随しない。もし真似たら、その瞬間に自分たちは隣国に屈服したことになる。例えば「私はイギリス人であって、フランス人ではない。」というような自己認識を懸命に守り固めようとする強い意志が、全ヨーロッパの国々に横溢している。
人が「自己同一性を保つ」ということの大変さを我が身に染みて知らされたヨーロッパ縦断(イタリー・フロレンツ~ドイツ・ハノーファー)鉄道1人旅であった。

「日本国に国旗などなくてもよい。」という方々がいる。彼等は、飛行機ではなく、鉄道やバスなどの地上ルートを使ってヨーロッパ諸国の国境を越えてみるとよい。「1つでも外国語を使えることが、自国語を真に理解するのに必要だ。」というゲーテの言葉を、自己対象化を媒介した自己同一性を獲得していない人たちは、理解できないかも知れない。

〇濡れ縁でご飯を食べ木更津の街中を散歩する子どもたち
社会館保育園が内発的な伝統文化(食事・生活様式・人間付き合い・日本語・町中の散歩・里山での生活遊び等)を大切にする理由は、子供達がいつの日にか外国の地に立った時、日本人としての自己同一性感覚を保証して上げたいがためである。ローカルなしのグローバル・ナショナル抜きのインターナショナル・多様性なしの統一性・個別性抜きの全体性・地方なしの統一国家は、砂漠のように、空しく単調で恐ろしい。

日本国千葉県の木更津で育ったことを幸せに思い、誇りに思える日本人達が社会館で育ってくれることを私は切に祈リ始めていた。

街中にいる社会館っ子たち

(3)カブトムシの角1本を大切にする子供達の思いを尊重すること

ヘーゲル・フォイエルバッハ・マルクス・レーニン・ゴルバチョフの思想より

〇抽象画・幼児画を否定する共産主義者たちの思想
共産主義運動は、ヘーゲル・フォイエルバッハ(人類の歴史は、初志が成熟して反動・対立を産み、緊張硬直状態に到り更に、初めには予想もしなかった第三の境域に達するとする。グノーシスの静的な考え方を、流動する時系列の上に置くことによって、矛盾対立を歴史を作り上げる機関車に見立てた。)を基本の哲学とし、マルクス・レーニン・スターリン・ゴルバチョフと進みながら発展し、充実、行き詰まり、空洞化を経て崩壊する悲劇となった。

「空想から科学へ」と、その認識レベルを上げてきたはずの共産主義者達は、人間の計画能力の未熟さ・マルクス主義思想の限界に思い至ることなく、共産党の絶対権力に胡座をかき、自分たちが人民の反感を買っていることに気付かなかった。ソビエト共産党は、人々が自ら考え、生きようとする意欲をそぎ、自分たちはもとより人民のモラルまでも破滅させた。具体的には、宗教をアヘンと断定してこれを全否定し、遺伝子の存在を拒否し、集積回路の発明を理解できず、抽象画・幼児画を「ロバの尻尾が描いたようだ。」とあざ笑って、写実画以外の全ての絵画を否定した。

〇日本の保育界への影響
この影響は、40年程前、私が社会館に赴任した頃の日本の保育界にも残されていた。千葉市の泉幼稚園がその運動のセンターで、モスクワから1人の女性教諭が招かれていた。彼女は、3歳児から「色も形も、見えた通りに描きましょう。」と誘導して、保育界でよく知られていた幼児特有の描き方を否定した。「見えた通り」とは、「大人の目に見えた通り」であった。

9歳にならなければ獲得されない、客観的な認識能力の発揮を、モスクワの指導を受けた保母達は3~5歳児にも求めた。子供達は、指導されれば、遠近感のあるバランスが取れた写実的な絵を描くのだった。保母達は、写真のようだと言って、「ありのままに」色づけされ形作られた子供達の絵画を誉め、殴り描きや頭足人や上下左右が自由自在の画を見下した。お母さんの顔の色は、肌色一色ではもちろんなく、印象派の絵画のようであることが推奨された。時に虫眼鏡を使って葉っぱの色を決定させていた。
5歳の子供達の認識能力の発展段階が、ここでは全く認識されていなかった。それは正にソビエト共産党の未熟な人間観に基づく暴挙であった。

数年して、日教組系列の教育月刊誌が、「幼児に対する写実画指導は、子供の認識の発展段階を無視している点で、人権蹂躙の教育法である。」と批判して以降、この指導法は急速に衰退した。
一時この指導法を受け容れた私は、3年程で考えを改め、この指導法を社会館から排除していく一方で「9歳の節」について少しずつ資料を集めていくことになる。また、共産主義崩壊の悲劇に気付いた私は、人類学の成果に基づく現象学・構造主義へと考え方の軸足を移していった。

〇一片の紙切れを命がけで守る文化がある
構造主義・現象学との出会いは、マルクス・レーニン等の素朴実在論を私の頭の中から吹っ飛ばしてしまった。ある物そのものではなく、そのものの構造に目を向け、ある物その「物自体」ではなく、その物がどう見えるかを重視する現象学の価値論は、マルクスの「労働価値説」を私の頭の中から消去してしまった。

人類学者レビストロース達の報告によると、南洋の島々で崇拝畏敬されている神様は、3年を周期として1000キロも大平洋を横断して次の担当の島に送られていくという。それはそれは壮麗な儀式が行われる神様の大旅行。その神様の実態は、一片の紙切れ。人はその一片の紙切れを命をかけて守り送り届けようとする。マルクス主義哲学が全く説明できなかった新しい「価値論」が、現象学の一環として産み出されていた。
実体や存在を問うことなく、人の目に見える関係や現象を重視するという態度は、マルクス主義哲学に不満を感じていた私を揺さぶった。

〇子供時代に子供性を充分に生ききること
子供達を大人と比べれば、1歳児も5歳児も全く未熟極まりない未完成品に見える。子供達の指導教育は、大人という目標を目指して日々自己否定を重ねること。ほぼ15歳になるまでは、ひたすら精進鍛錬の日々。しかし現象学の見地からすれば、0歳児も3歳児もその日々を自己肯定しつつ生きるべきだとなる。子供達は、その子供性を充分に生ききることによって、子供性を消化しつつ青年期を経て大人になる。

しかし、幼児期の遊び等は無駄。遊びなど大きくなってからやればよいと考える人たちが現代日本にもいる。
彼等は、2歳児に字を教え、数字を教える。4歳児に1次方程式を解かせ、漢字を覚えさせる。ひたすらごっこ遊びに没頭するべき3歳児に、机について小学生並みの教育を受けさせる。ひたすら里山を徘徊して、自然と戯れるべき時に、部屋に籠もって個人的な才能開発に励ませる。自発的内発的に幼児達が没入する、集団での泥水遊び等を全くせずに、思春期を迎え成人になる子供達。
彼等はしかし、子供時代にやっておかなかった、幼稚な振る舞いや体験を大人になってから実行したがり、周りのひんしゅくを買う。

1歳児には1歳児として、内から自然に溢れ出てくる子供の欲求がある。
それを無視して、プロセス抜きでゴール・結果を与えようとする短慮。子供達が喜んでいなくとも、平然と上からの指示を子供に押しつける非道。自ら感じることなく、自ら欲することなく、自ら決断することなく、ひたすら「木偶の坊」ロボットを演じさせられる幼子達。
大人という完成品を人のあるべき姿とし、幼児期という未然状態を拒否する大人達は、人類の進化過程を認めず、いきなり神によって創造されたアダム達を正しいとする人々と同じ。

私は、それが紙切れ1枚・カブトムシの角1本だとしても、子供がそれを大切にしているのなら、その子供達の思いを尊重してみる方が面白いと思った。原始時代の人類の絵に似る幼児画を「間違っている。」と評価して「写真のように正しい絵画」を子供達に教えることから離れた。

社会館の子どもたちの絵は多彩だ


(4)何よりも子供達の「やる気」が全ての出発点であること

佐伯胖(ゆたか)・「アメリカコンピテンス学派」の思想より

〇人は報酬では動かないことがある
40年前の心理学者達の常識は、「刺激・報酬が人の行動欲求を促進する」と教えていた。この常識は膨大な実験結果によって証明されていた。30年前、東京大学教育学部助教授として招聘されようとしていた佐伯胖氏は、「報酬が人の欲求を促進しない場合がある」「報酬の逆効果」理論を紹介し始めていた。

1960年代、アメリカ大統領ジョンソン氏は、肌の色による人種差別をなくすために「ヘッドスタート」計画を大々的に実施して失敗していた。「アメリカで黒人達が幸せになれないのは、小学校1年生になるまでの養育に白人と違う点があるからだ。だから1年生の時、白黒を問わず同じ状態でスタートを切らせてあげたい。」ジョンソン大統領はその様に願い膨大な予算を計上したが、期待は見事に裏切られてしまう。
なぜか?そこから心理学者達が立てた仮説は、「いくら周りが勉強を教えようとしても、学習を支える心情・意欲・態度が出来ていなければ成果にはつながらない。」というものであった。

〇日本の教育課題は子供たちの「やる気」に根本原因がある
佐伯先生は、この「アメリカコンピテンス学派」の研究成果を紹介しつつ「やる気のない子」「影が薄い子」「自分の人生を物語に出来ない子」「無責任な子」「何でも人の責にする子」「間違えるということ」「分かるということ」「自信を持つということ」など、今までの日本の教育心理学が全く説明できなかった学校生徒の課題を、明晰に説明して下さった。全ての彼の論文が「目からウロコが落ちる」内容であった。

何よりも、子供達の「やる気」が全ての出発点であること。手取り足取りは、人間教育の基本ではないこと。「自己原因性感覚」一杯の子供達、自己感情を明確に持ち、仲間達の感情との共鳴・ズレ・対立を常に前向きに生きられる子供達、世界を信頼し恐れることなく立つ。

佐伯先生の教えは、木更津社会館保育園の根本の教育哲学だと言ってよい、と私は思う。

0歳にも意欲がある。
意欲を引き出す。

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