はじめに/目次

1978(昭和53)年4月以来、木更津社会館保育園園長(最初の1年間は、副園長。ただし園長になる資格はすでに有していた。)として私は、いつも保育園の子供達が発する光を気にしてきた。その関心は只1つ。「この子は、今この一瞬を、心の底から享け入れ楽しんでいるか?」小児科医と同じく、私の診断の手かがりも「子供達の表情と身のこなし」であった。「小雀たちのように、その心・体は、飛び跳ね、弾んでいるだろうか?」子供達が、出会い頭に思わず発する「園長!」という声の勢いに、その子の私・担任・社会館保育園全体への、信頼・満足を読み取ろうとしてきた。
そして、私が必死に考え迷いながら子供達に提案してきた、あれこれの企画の思想的歴史的な背景をここにまとめた。

目    次
01 子供たちのこと
(1)子どもたちの対立混乱を恐れない
(2)日本国千葉県の木更津で育ったことを誇りに思える日本人へ
(3)カブトムシの角1本を大切にする子供達の思いを尊重すること
(4)何よりも子供達の「やる気」が全ての出発点である

<着想の元となった思想家たち>
(1)グノーシス・華厳経・ゲーデル・岡清・城丸章夫
(2)丸山政男・本居宣長・荻生祖来および平安仏教
(3)ヘーゲル・フォイエルバッハ・マルクス・レーニン・ゴルバチョフ
(4)佐伯胖(ゆたか)・「アメリカコンピテンス学派」

02 新たなことに挑戦するに際して
(1)新しい挑戦の前に必ず仮説あり
(2)物事を決定することの厳しさと楽しさ
(3)自己の認識は永遠に仮説であるとする謙虚さ
(4)多数決という決定方法が有効な場合と危険な場合があること

<着想の元となった思想・思想家たち>
(1)板倉聖宣「仮説実験授業」
(2)「民主主義は多数決のことではない」
(3)ディベートの衝撃的な真理観
(4)「満場一致は自動的に否決」という101人会議の人間観

03 育児のこと
戦後の育児、その理想型の行き詰まりと転換
(1)まるで子供が子供を育てるような友達親子
(2)子供にはストレス体験が必要だ
(3)人が困っているときに出来ることをしてあげること
(4)子供を親たちから遮断・独立させないこと
(5)好きでも嫌いでも「お腹が減った!」と言って食事を平らげる子供たち
(6)社会館保育園の給食は地産地消の和食が中心
(7)社会館の子供達には心の底まで差し込まれている数本の串がある

<着想の元となった思想たち>
(1)平等論
(2)ストレス無用論・我慢忍耐不要論
(3) 自己犠牲無用論・自己利益最大化論
(4)子供部屋が子供の自立を促す論
(5)「子供は、いつも食べたいものだけを食べる権利を持つ」論
(6)「ご飯を食べると馬鹿になる」論:慶応大学某教授
(7)子供達は、誰からも束縛されるべきではない論

04 上記以外に重大な影響を受けた方々
(1)学校の成果は教員の力如何であることを教わった:斉藤喜博
(2)斉藤先生考案の「リズム」を社会館で使わせて頂いている:斉藤公子
(3)社会館のリズムと歌の発想の原点を教わった:丸山亜季
(4)社会館保育の目標の原点となる9歳の壁・節の存在を研究された:高垣順一郎
(5)シュタイナースクールの発想法は「森・里山保育」の根っこに繋がっている:シュタイナー
(6)保育士の指導より子供たち自身による「気づき」を優先させる社会館方式の元となった:遠山啓
(7)「混沌から秩序へ」は常に変わらぬ社会館の流儀である:森岡正博
(8)「意味としての言葉」以前の「音としての言葉」を幼子達に与えているか:大貫妙子

おわりに

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