(1)保母学校は1台のグランドピアノから始まった
(2)事務所の大机は誰もが使える共有空間
(1)保母学校は1台のグランドピアノから始まった
旧園舎のお座敷に1台のグランドピアノが鎮座した。
こんなすごいものを買って何をするのかと誰もがいぶかった。保母たちの中で最もオルガンが上手な田中茂子先生は、ピアノの名手ではない。私は、さくら保育園で実施されていた保母学校を再現したいと思った。テキストは群馬音楽教育の会が発行していた『授業のための歌曲集』を使う。指導者のイメージは、斉藤喜博と丸山亜紀。私が頼ったのは、木更津第一中学校時代の音楽教師船田先生。とにかく始めることが大事。
1978年9月29日夕方1時間私も含めて全職員が集まった。以来40年毎月1回の保母学校が続いている。守麗子先生・金子圭子先生と指導のバトンが引き継がれ、現在は、千葉から東京の歌舞団に関係する伊藤敦子先生にお越しをいただいている。
丸山亜紀先生のお考えは、子供は走るもの、といい、子供たちの内から溢れ出る活き活きしさを音楽で表現させようとされていた。
①音のテンポが速いことを子供は好む。
②途中に転調があることを子供たちは好む。
③歌詞は子供たちが歌の主人公になれるのがよい。
以上3つの原則から、社会館保育園での既存の歌がほとんど捨てられた。
保母学校の目的は、歌曲の改革のほかに、職員の教養レベルの向上があった。職員の人生の充実のための道は多々ある。読書会・お芝居等の鑑賞・旅行・俳句。職員の好みもある。何でもよかった。歌の練習が始まって、コーラス・和声による感覚体験になるかと考え始めた。が、声がなかなか出なかった。コーラスに快感を感じる職員が増えなかった。今、伊藤先生のもとで、美しい声が出始めている。子供たちも怒鳴らなくなって数年になる。
2007年10月28日NHK放映のドキュメンタリー『里山保育が子供を変える』では、まだまだ怒鳴って歌っている子供たちが紹介された。「社会館は普通の平凡な保育園だ。それでも里山保育はできるのか。」と人に思わせるのには最適の映像であったが、指導者伊藤敦子先生は、それを見逃さなかった。有難いことである。
(2)事務所の大机は誰もが使える共有空間
1987年度、事務室に大机を置いた。
事務机は園長・主任・栄養士・会計事務担当以外は共用を原則とした。1台45万円の特注で秋元木工所が作ってくれた。費用は宮﨑識栄元理事長が出して下さった。
15名規模の職員会議も可能で、1枚に見えるテーブルを間にして、参加者の気持ちを交換させ一致させるにはとても良い感じだ。私も事務担当も一時保育担当も、誰もが使える共用空間は重要な役割を果たしているかも知れない。各職員が自分の机を独占して、そこにしがみついて仕事をしている光景は、時代から取り残された職場の証明と言ってよい。本田技研にこのモデルがあることはご存じの通りです。