木更津こどもまつりの様子
(只今準備中です)
木更津こどもまつりについて
1 発足のきっかけ
平成9(1997)年11月から7年間にわたり開催されてきた子育て中の親子のための「青空クラブ合同運動会」:地域子育てセンター「ゆりかもめ」主管:が参加者500人を超えて急激に大規模化した。見ているだけの人が増えすぎて、不満が続出しだした。平成15年11月のこと。
「ゆりかもめ」所長宮崎はその廃止を決めて、代わりに「木更津子供まつり」を提唱した。平成16(2004)年4月のこと。
2 木更津こどもまつりの基本のイメージ
(1)全体の風景
木更津の街の中に、幼い子等を連れた親子の群れが、溢れかえること。
街中の人(お母さん・お父さん・ご老人・おばさん・乳幼児・小中高大学生・お兄さん達々)が出てきて、「やあやあ懐かしい」と言って人に出会い、ご老人は子供達の可愛い姿を見て「もう少し頑張ろうか」と元気が出ること。
街がキラキラと輝いて見えること。
(2)若い親子たち
若い親子たちは、郊外の量販店・大スーパーにいるときの様に、受身なのに大柄(おうへい)な消費者、お金を持っている限りでのお客様として振舞うのではない。
買い物に行くように、物を買うためにそこにいるのではない。
チヤホヤしてもらいたくてそこにいるのではない。
若い親子たちは、そこで積極的に自己を発揮している。
自己を発散している。
自己を表現している。
主役になること。
自発的に出店し企画をする事。
自分から世界を動かそうとしている。
第2回こどもまつりの全体的な結果がどうなっても、自分達としては、やれるだけの事をやれたなあと自己満足できること。
(3)「福祉はただ」を止める
「ただ」は人を卑しくする。
人の自尊心を裏から吸い取る「ただ取り」を止める。
学童保育所のゲームコーナーも1回10円程度の有料制とする。
「売りっこ買いっこ」を幼児も楽しむべき事。学童も微々たる値段でも自分の手で儲けてみること。
儲けがあるとしても、微々たる金額である事。
プロの出店が営業販売を虚(むな)しく思える程度の相場設定とする事。
1品100円程度を最高額とする。
(4)人と人が繋がる
若い親子たちは、ばらばらに勝手にお買い物をするのでなく、人と繋がろうとする。
人と一緒に何かをしようとする。一緒に楽しみ感動しようとする。
「1人で密(ひそ)かに」はここでは棚上げ。
自発的な共同作業。
壮大なる共同行為。
主客が随時入れ替わる。
(5)故郷の原風景
今5歳のこどもが、20年後25歳になったとき、70年後75歳になったとき、ふっと思い出す故郷の原風景のイメージのなかに、八幡様のお祭りや木更津港祭りそして夕日に染まる木更津港の遠景と共に、木更津子供祭りの賑やかでウキウキするような光景が、父母や兄弟の手のぬくもりと一緒に蘇って欲しい。
3 実行委員会としての身構え
① 「昨年みんな喜んだ。今年もやりたい、見たい、来たいという願いを叶えてあげたい。」
② 参加者は去年並(スタッフ500・お客様2000))と想定する。宣伝も去年並。
スタッフ500人が朝9:00から午前10:00頃から1000人のお客。
11:00頃に合計2500人になり午後1時までいると想定する。
客は1時から段々減る計算。
③ 同じ場所に午前と午後で違う店が出ても良いと考える。
④ 参加者の更なる増加も想定し、お客様の安全に配慮している事を一層明確に(警備員の増員・警備員の緊急連絡体制の整備)する。
⑤ 湧きあがってくる力(主催側・お客側共に)を、実行委員会としてきちんと受け止めたい。 1つずつの企画を大事にする気持ちを持ち、その体制を作る。
⑥ 既存の組織(更生保護女性会・主任児童委員会・仏教婦人会)の自発的な企画・実行を間違いなくサポートする。
⑦ 地域に根ざした人材発掘。中高生の活躍にも期待したい。
⑧ 既成のイベントにない側面を大事にする。「今までのイベントとどこか違う」という印象を残す工夫をする。
程ほどの貧乏(貪欲でなかった。)
希望(何も決まっていなかった。)
活き活きとしていた(やれば報われた。)
よそよそしくなかった(みんな一緒だった。)
気安かった(気取る必要がなかった。)
励ましあっていた(お互い様。助け合うしかなかった。)
大まか(細かな事をいうと笑われた。)
「我それ」関係から「我汝(なんじ)」関係へ
相互不干渉:孤立から情報共有:心の繋がりへ
相互無関心:感情遮断から共同行為:共感へ
〈2005.9.7実施の実行委員長直属企画会議原案作成・各年度実行委員会承認〉