12 動の保育:雑巾がけ・合気道など

(1)雑巾絞りと雑巾掛けは大切なコースだ
(2)朝の体操を廃止・「お片づけ」は3時だけに
(3)大反響の太鼓の集団「荒馬座」
(4)合気道で「余力」を活かす鍛錬をする

夕方遊んだ続きを、明日朝続けて遊べる幸せを社会館の子どもたちは生きる。

(1)雑巾絞りと雑巾掛けは大切なコースだ

1978年度、雑巾掛けを5歳児が始めた。
日体大の正木教授が小学生の姿勢が悪い、長く立っていられない、土踏まずが出来ていない例が増えている、と発表されていた。ポーランドからの報告に、腰痛対策として雑巾掛けが良いというような話が聞こえていた。私は、職員会議で提案して、年長組が雑巾を家から持ってきて、廊下を1日に1回拭くことを始めて貰った。
1979年度からその成果を実証するために、誕生カードにお子さんの足形を加え、子供の土踏まずが順調に出来上がっていることを親達にお伝えし始めた。

現在は、3歳後半から始めており、雑巾を竹刀を持つように絞ることも重視している。右手と左手の分業・連携が精緻化されることを目指しているのだ。雑巾絞り、雑巾掛けは子供の身体発達を促すための1つの大切なコースだ。

(2)朝の体操を廃止・「お片づけ」は3時だけに

〇朝の体操を廃止
朝9:00になると園庭のスピーカーから体操の音楽が流れて、クラスごとに集まった子供達は、担任と一緒に朝の体操をしていた。その後各部屋に入って「おはようございます」をして出欠を採って貰ってから、クラス単位で一斉保育というコースが決まっていた。

1982年、4月下旬、園庭の外スピーカーの調子がおかしくなった。直ぐ電気屋さんに直して頂いたが、また故障。6月に3回目の故障が起きた時、私はひらめいた。「これは天啓だ。」と思った。「天が体操を止めよと言っている。」私は修理を止めた。
7月から、朝の体操と共に「おはようございます」も出欠も、一斉保育も廃止した。「おはよう」は登園時に終わっている。出欠は鞄の有無で確認する。一斉保育は散歩になった。子供達は「散歩」にでるまでは、登園時から自分のペースで遊べるようになった。かくして午前中の保育の中断が1回だけになった。絶えざる保育の中断が、子供達の集中力・持続力・根気・徹底性の涵養を邪魔している、と私はにらんでいた。

外スピーカーは運動会や非常用で使われるので、後日完全修理するのだが、朝の体操は復活しなかった。

〇「お片づけ」は3時だけに
「お片づけ」というのが、朝の体操の前、昼ご飯の前、おやつの前に、毎日3回あった。これを3時のおやつの前1回だけにした。しかも、時間外保育の後の片づけをこどもたちにさせず、出来る範囲で時間外保育担当職員がすることとした。これで子供達は精一杯集中と持続の時間を遊べることになった。1日に1回の片づけを嫌がることはなかった。

夕方7時直前。ホールは大型積み木などで巨大な作品が作られ、そこで子供達は遊んでいる。保護者が迎えに来ると子供達は作品をそのままにして帰っていく。片付けはなし。なぜか。

60年前、私の母の実家ー野田市に大師山保育園があった。母の里帰りの度。保育終了後の大師山保育園のホール。大型積み木すべてを独り占めして私は遊んだ。智慧の限りを尽くしてすべての積み木を並べ積み上げ、使い尽くして遊んだ。その成果を残しておくと必ず、「片付けなさい。」と命じられた。「せっかくこんなに面白いのができたのに。明日これで保育園の子供達は大喜びで遊べるのに。」と思って私はいつもそのまま作品を残すのだが、必ず見つけられて「片付けさせられた。その無念が今「片付けなし」となって社会館保育園のホールに生きている。
夕方遊んだ続きを、明日朝続けて遊べる幸せを社会館の子供達は生きる。

(3)大反響の太鼓の集団「荒馬座」

1984年度 太鼓の集団「荒馬座」を呼んだ。(これも迷った。)
保育園児に太鼓の音は好まれるのではないかと私は思いついた。自信はなかった。少なくとも、子供達が自分で打つべきだとは思わなかった。(マラソンと同じで、太鼓打ちは中学生以上のテーマだと私は今も考えている。)

果たして「荒馬座」の公演は大変な反響で迎えられた。障害児が和太鼓に反応することを知らされた貴重な企画でもあった。未だ和太鼓が流行る前であったが、子供達も親達もその善さを分かってくれた。

(4)合気道で「余力」を活かす鍛錬をする

合気道」師範吉田充伸氏から、子供達が「合気道」を教えて頂くようになって、
15年程になる。始まりは、お父さん先生として吉田氏が社会館年長くじら組に「合気道」の初歩を試みて下さったことだった。子供達の動き・姿勢が、吉田氏の予想を上回っていたうえに、子供達の反応も至極歓迎的なものであった。吉田師範が、「合気道」を教えるのに不足なしと判定され、子供達が「合気道」を教わることに積極的であったのだから、園長の決断は早かった。くじら組の段階で2・3回「体験学習」させて頂いたうえで、「土曜学校」でも毎月1回年間を通してご指導をお願いすることになる。

子供は「土曜学校」では、「特別何かをしなくても良い。そこにいるだけでよい。」といいながら、私は子供達が、テレビの影響下に流され溺れていくことに危機感を持っていた。最初から「詩の時間」を設定していたのはその故だ。「合気道」。それは天啓そのものであった。吉田師範は、忙しいにも拘わらず、小学生になった社会館の子供達に引き続き「合気道」を体験させることに意義を見出して下さった。

信州黒姫山の麓の開拓部落で、狩野誠氏が農民達のために「延命茶」を作り、その子供達のために「棒術」を教えられていたことを知って、「里山の自然体験学校:土曜学校」に「合気道」は相応しいと私は確信を持った。元々「合気道」は、北海道の開拓時代に北海道東北部の遠軽在住の柔道家が、女性でも出来る護身術として編み出されたものということも同じ頃に知った。黒姫山の「棒術」は、土曜学校の「合気道」になった。

それは何よりも①大きな声を瞬間的に出すレッスンであり、②自分自身に気合いを入れるレッスンであり、③普段、人が出し切っていない「余力」を活かす鍛錬であった。もし「合気道」自体を深めたい人は、直接吉田師範の許に入門すればよい。余り本気でなくても良い。

のんびりとした里山体験のための「土曜学校」に、「漢詩や合気道」が必要か、意見は分かれるだろう。が私は、子供が9歳になるまでに身につけるべき判断基準と共に、思春期を乗り越えるための精神的な支えが、併せて明確に伝えられるべきだと思うようになっていた。60年間に渉った、私の試行錯誤、彷徨と思案熟慮のあげくに見えたものを、子供達に伝えていこうと、私は決めた。彼等に「残酷無惨な東西冷戦」や「日本の実りなき学生運動」の無駄を繰り返させたくない。せめて「江戸時代・明治維新以降」の再評価から、良き筋と良き志を伝えておきたい。
吉田充伸「合気道」師範の変わらぬご教導を切にお願いしたい。

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